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一泉 凡隘

パリ、シャルル・ド・ゴール1

 雨の早朝、私はパリ、シャルル・ド・ゴール空港に一人で降り立った。あれは、ちょうど黄色いベスト運動が盛んな頃だったから、もう4、5年前になるだろうか。一緒に行く予定だった友人の急な就職活動により、最初の数日間を一人で過ごすことになった私は、不十分な英語と、さっぱりわからないフランス語と、それからなによりデモ隊に怯えつつ、小雨の降る午前3時にパリに降り立ったのだった。


 私はパリの古城が見たかった。パリの街並みが見たかった。パリのオペラ・ガルニエが見たかった。だから、友人が遅れてくることになっても、日程をずらしたくはなかった。


 シャルル・ド・ゴールは、冷たい雨と、真冬の冷たい空気と共に私を出迎えた。

 私が泊まったホテルは、パリ中心部から徒歩10分ほどの、古びたホテルであった。当然、こんな早朝もしくは深夜にチェックインなどできない。

 さっぱり案内のわからぬ、薄暗いシャルル・ド・ゴール内を右往左往し、顔を必死に近づけて英語の案内を読み、パリ中心部までのトラムバスのチケットを購入し、ようやくバスに乗り込んだ。かれこれ空港に降り立ってから1時間半ほどは経っただろうか。


 バスにしばらく乗り込み、パリ中心部で降ろされた私を最初に出迎えたのは、雨に濡れた薄汚いゴミ箱と、そこからこぼれ落ちた大量のゴミの塊であった。


  パリは、ゴミの街であった。


 いよいよ、一人でパリの街に放り出され、私は彷徨い始めた。SIMカードを差し替えたスマホの地図アプリを頼りに、ホテルまで向かう。その道の途中に、黄色いベストを着たおじさん達がゴミ清掃をしているのが目に入った。なるほど、このご時世でも朝早くから淡々と普段通りに掃除をする黄色いベストの人もいるのである。


 案の定、ホテルでは荷物こそ預かってくれたものの、チェックインはできず、当然部屋にも入れない。


 かくして、雨のパリの午前5時30分、私は一人薄暗く閉ざされた街に放り出された。


 マクドナルドが8時に開くまでの2時間半を私はどこをどう歩いたか全く記憶にないまま、とにかくパリを歩き続けた。


  薄暗く、一方でまた薄白いパリ。

  映画の、否、芸術の都。

  ナポレオン3世によって美しく整えられた街。

  そして、革命を伝統とし、今もなお炎と怒りが覆い尽くすこの国。


 私は当てどもなく歩き続けた。何かを考え、何かを思い、歩いた。

 だが、何を考え、何を思ったかはもう覚えてはいない。


 8時にマクドナルドが開き、ようやく朝飯と温かいコーヒーにありつけた。すでに、この頃からパリのマクドナルドは、注文が機械によって自動になっていた。


 周りを警戒しながらコーヒーを啜っていると、ドヤドヤと警官達が入ってきた。何事かと思えば、警官達もマクドナルドで朝飯を食べ始めた。テレビには黄色いベスト運動の特集が流れている。警官達もそれを食い入るように見つめ、時折テレビ画面を指差して大声で何かを言っている。


  ここはパリ、革命と炎と怒りの街。

  そして————パンの美味い街。


 そう!実にフランスのパンは美味い。パリへ向かう途中のエールフランス便で出されたパンもとてつもなく美味かった。CA達も、どこか誇らしげにパンのおかわりを配って回っていた。多くの客が我先にとおかわりを求め、私は二度もおかわりした。


 私はパンの熱烈な愛好家というわけではないので、あの美味さがどこから来るのかよく分からないが、とにかく美味いものは美味い。なかなか日本でありつける味ではない。日本における美味いパンとは、しっとりしていて、様々な味付けがなされたものが多い。それはそれで美味いのだろうとは思うが、フランスのパンはそれとはまた異なる味である。食感はカリッとしているが、口に入れると柔らかさが広がる。それと同時に、小麦粉のふんわりとしたほのかな甘みを伴う香りが鼻へ抜ける。バターやら何やらの味付けはいらない。そのまま食べることこそ至高という味である。


 私は、パリにいた数日間、毎日、下手をすれば毎食、パンを食べた。最早パン音痴の私にはどの店で買ってもパリのパンは美味かった。————それから、オレンジジュース。パリのスーパーにはだいたい、オレンジジュースの生搾り機械が置いてあり、自分でカップを取って、搾ってレジへ持って行く。勝手に搾っていいのか分からなかったので、最初はとりあえずカップをカゴに入れて他の商品と共にレジへ持って行き、これはどうすればいいのかと拙い英語で問うた。店員の若い女性はカップをゴミ箱に放り込みながら、早口のフランス語で何かを言った。おお、今まさにここはパリ!私は奇妙な感動さえ覚えた。仕方ないので、会計を済ませたあとにしばらく機械の付近に佇み、他の客の行動を観察した。すると、どうだろう。彼らはカップにオレンジジュースを搾り、レジへと向かうではないか!なるほど、そうだったのか。私は早速買い物袋を下げたまま、再びカップを手に取り、今度はオレンジジュースを注いで、レジへと向かった。先ほどの女性はまた淡々と会計作業を続ける。一応こちらも欧米文化に倣ってBonjourと挨拶しているんだけども。おお、あなたは今まさにパリ人!やるべきことをやってくれさえすれば、私にとって他人とは基本的にいてもいなくてもいい存在なので、それ以上苛立つこともない。


 その日の夜に食べたのは、カリフォルニアロール入りのSUSHIであった。味は覚えていない。覚えるほどの味ではなかったのだろう。良くも悪くも。




画面の中の 眩かった君は

今どこで何をしているのか


何万人もの 男達は

そんなことを気にはしない


真っ白に輝く 君の柔肌は

どれほど擦られてもくすみはしない


そのなめらかな 君の背中は

何度なぞられても汚れはしない


風だけが知っている 君の今を

スラム街彷徨う君の涙を

海超えて流離う君の夜を

墓穴入り揺蕩う君の心を


君は永遠の天使、ブラウン管の地縛霊

いつまでも笑い続ける 蠱惑の踊り子


切り離された君の亡霊は 今もここで踊り続ける・・・

朝露に濡れた窓の向こう そっと手を振っていた


純白の乳房が ちらちらと挨拶し

ゆっくり崩れ落ちる 君の身体


ぐるぐると回り出す いつもの天井

そっと手を添えて 交わす恍惚の口付け、その果ての無


また今日も朝が来てしまう、そう呟いた君は

今も永遠の天使、

ブラウン管の中に閉じ込められたへーラー


墓穴に埋もれた君の肉体よ、

君は永遠。だが、それこそが悲しみか?


眠れ、天使よ。廻れ、その魂よ。

全世界の男の愛を受け、

その汚れなき肉体に相応しき高潔の魂となれ。



(文=一泉 凡隘/いっせん ぼんあい)


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