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一泉 凡隘

『ソナチネ』におけるダブルスーツという重要な観点についての覚書

更新日:2023年7月1日

 北野武の最高傑作と目されることも多い『ソナチネ』は、その全篇を通して漂う死の香り、すなわち沖縄の強烈な生の香りが色濃く匂い立つ映像との対比としてのそれや、あの象徴的なラストシーンに代表される青の画、淡々と喋り死んでゆく男たちの人物設計など、さまざまな観点から批評されてきた。しかしながら、私がとりわけこの愛すべき"小"作品において気を惹かれるのは、北野自ら演じる"小"ヤクザの親分、村川の着用するスーツである。『その男、凶暴につき』での我妻刑事から『3-4x10月』でのやや狂気的なヤクザとしての上原、そしてこの『ソナチネ』での村川と、初期北野映画における北野自身の役は寡黙で、狂気を内に抱え、そして常に生きている社会に対して絶望しているという共通点が存在する。しかし、『ソナチネ』における村川は、他の作品——これは『HANA-BI』や『BROTHER』、あまつさえ『アウトレイジ』シリーズですら——において北野が演じた役と比較したとき、唯一ダブル・スーツを身につけているのである。たとえば、我妻は渋いグレーのチェック柄のシングル・スーツ、『HANA-BI』ではシングルのダーク・スーツ、『BROTHER』では山本耀司のデザインしたモード・スーツとなるが、これもシングルである。『アウトレイジ』シリーズも作品ごとに服装は変わるが、スーツを着用する際は、常にシングルである。これはもちろん、北野による気まぐれであるとか、衣装担当の違いによるものだろうとか、いくらでもありうる説明は考えつくが、しかし、それは一つの作品として『ソナチネ』を観る際にはなんら関係のないことである。私は、あえて、『ソナチネ』という作品における、このダブル・スーツの特異性という観点を、特に北野の初期作品——『その男、凶暴につき』、『3-4x10月』、そして『ソナチネ』——における比較において極めて有用なものであると主張する。詳細は、秋頃創刊予定の『白燈蛾』第1号において掲載予定であるが、ここではこのダブル・スーツの特異性という観点の重要性を示唆するいくつかの理由を挙げておこう。

・ 北野作品におけるヤクザ映画において、北野自身が役者として登場する場合、その役は基本的に同じ属性を与えられる。すなわち、大組織内の一小ヤクザの親分であり(『3-4x10月』のみ若干異なるが、組織において一定の立場を有するもの、という抽象化を行えばほぼ同一と言いうるであろう)、寡黙でありながら、自身の生きる社会に対して強烈な狂気を内包している。それでいながら、やはり『ソナチネ』における村川は特に異形の存在である。

・ 『ソナチネ』以外の作品では、先ほど確認したように常にシングル・スーツを着用しているが、実は『ソナチネ』も含め、北野映画において、北野武が演じる役はスーツの前ボタンをほとんど留めない。しかしながら、そういった服装面での強い共通点がありながらも、『ソナチネ』においてのみ、村川=北野武はダブル・スーツを着用しているのである。

・ ダブル・スーツは、シングル・スーツとは起源の異なる衣服であり、その文化的背景が持つ背景も異なる。同時に日本国内においては、その着用がシングル・スーツと比して若干異なる意味合いを持った(あるいは持っている)。

・ 『ソナチネ』において、特に沖縄に舞台が移動して以降、村川=北野武は、砂浜での遊戯の際など、上着を脱ぐ場面が多く見られる。一方で、ラストシーン等、緊迫した場面では、着用していることが多い。これは、もちろん、前者が昼間であったり、屋外であったりすることが多い一方で、後者は夜間、あるいは室内のシーンが多い、ということがあるだろうが、あえてそうしたのだ、とも主張しうるのではないか。

 さて、私は本当にここまで広げた風呂敷を畳むことはできるのか。それは、『白燈蛾』創刊号においてご自身で確かめられたい。

(文=一泉 凡隘/いっせん ぼんあい)


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